BSマンガ夜話「もやしもん」を見た。

「沢木に存在感がない」
って話題がやたらと中心になってたけど、それってそんなにやいのやいのとはやすことなのかね?


もやしもん」は、作者がくどいくらいに「フィクション」であることにこだわってるわけですよ。
このリアル志向でメッセージ性の強い作品を、作者は「エンターテイメント」として描いている覚悟があって、その「フィクション性」の根幹にあるのが

「そうえもんは菌が見えちゃうんです」

という設定である以上、いくらストーリーを美女たちに引っ張られていようと、どれだけ菌どもがかわいらしく画面を席巻しようと、「もやしもん」の主人公が沢木であるっていうことは揺るぎないことだと思うんだよね。たぶん、作者にとって、それ以上の「主人公性」は必要ないんじゃないだろうか。


美味しんぼを超えた」っていうのは、このフィクション性がありかつ農大というアカデミックな舞台装置を設定したことによって、科学的真実や歴史や社会的問題からビシッと一定の距離を置くことで相対化できたからなんじゃないのかね。
たとえば、納豆についての「発酵のメカニズム」「発酵食品の文化史」「食える/食えぬという立場」とか。


たぶん作者がこの作品を描くいちばんのきっかけになったのは、
「ホモサピめ何言ってやがる。俺たちは俺たちのやりたいようにしてるだけだぜ」
という、菌たちのナマの声を人間に届けたかったからなんじゃないか。
「発酵と腐敗は仕組みとしては同じもので、人間にとって有用かそうでないかによって呼ばれ方が違うだけ」という話はよく聞くけど、それをそのまんま「菌の声」として対象化したら、人間が自分の都合で冷凍うどんの歯ごたえを増すためにタピオカを混ぜてみたり、でもタピオカはもともとデンプンだから別にだからどうってわけじゃないかもしれない、というように、付随的にいろんなものが相対化されていって、結果としてこのマンガが「啓蒙書」として独自の視点を備えるに至った、というのが実際のところなんじゃないだろうか。


菌が生活し、樹教授が講義し、沢木たちが動くとその結果また菌たちの生活(はたらき)が変わる。それを沢木の能力によって読者に提示することで、「発酵」という現象に対する読者の視点が一周するわけですよ。
もし、この作品が、沢木の能力が樹教授の企みによって菌をほしいままに操作することに使われる、というような話になっていたら、たぶん今の「もやしもん」のような多様性は出てこなかったんじゃなかろうか。それは、単なるヒーローものでしかないわけで。
でもアレかな。まだ8巻読んでないから、またちょっと現時点では違う傾向になってるのかな。明日にでも8巻買ってくるべ。


とにかく、今回の放送については、
「美女たちの顔がみんな同じだ」
「脚フェチ」
「女は美しくて強い、男たちはガキっぽくて太刀打ちできない」
と、そういうとこからもう一段踏み込んだ話が聞きたかったなぁ。
「リズム感や間の取り方が独特」って、「ケロロ軍曹」のときも昨日の女性マンガでも言ってた気がするけど(笑)、じゃあこの「もやしもん」では具体的にどうなのか?とか。


なんかアレだ。楽しみにしてたんだけど、わりとどうでもいい話題に終始されちゃったって気がするなぁ。あくまで自分にとっては、だけどさ。
もう一回取り上げてくれないかなぁ。無理なんだろうけど、ね。