11・16DDT“God Bless DDT 2009”新宿FACE大会、雑感。

興行は面白かったですよ!
主に若手選手のがんばりが、試合のみならず興行全体のドライブ感に直結してたし、11・29後楽園の“DDT SPECIAL”に向けて、各ブランド代表がそれぞれに持ち味と存在感を発揮してたしね。


正直、飯伏vs伊橋がいちばんのお目当てで、あとはトーゴーvsポイズンが気になるかな…というのが、事前の期待度でした。
ところがところが。いやいやまあ。
第ニ試合の安部と高尾、第六試合の石川、鳥羽さん、メインの石井。みんな素晴らしかった!


取ってつけたような絶賛っぷりに見えるかもしれないけど、そうじゃない。むしろ、そう感じられてしまうくらい、この数ヶ月でDDTという団体は根本的な転換期を迎えてるんじゃないだろうか?
もしそうだとしたら、そのきっかけは、おそらくあのヤングドラマ杯なんだと思う。


今までのDDTと何が違っているかといえば、2つの楽しみ方が増えたということだ。
1つには、伸び盛りの若手による直線的で健全な「青春物語」としての要素。
もう1つは、それにより、特に前半戦にも興行全体の高揚感を直接刺激するラインナップが組まれるようになったこと。

これまでのDDTに最も欠けていたもの、それはもしかして、「素直さ」ではなかっただろうか(苦笑)。
正確には、「素直さをそのまま素直さとして提供する『勇気』」…かな。逆に言えば、DDTはそういう「飾り気のなさ」を徹底的に排除することで、ここまでのコアなマニア人気を獲得してきたのではないだろうか、という気がする。


ううん、違ってたらごめんなさい。何しろそんな昔から観てきたわけでもないから。
でも、そこまで外れてはいないとも思うんだよね。逆説的だが、この「素直さ排除」の流れがあったからこそ、あのマッスルという興行が生まれてきたんじゃないだろうか。マッスルというシリーズものは、突き詰めていくと(あるいはいかなくても)「プロレスラーになりたい汁レスラーたちの永遠のスラップスティック・コメディ」という軸があるのは明白なはずだ。
そう考えると、この仮定は、個別具体で差異はあっても、トータルではそこそこいいところを突いてるんじゃないか…と思ってしまったりする。


現に、「飯伏LOVEキャラ」だった安部、「改名キャラ」だった石井の、今のスタンスはどうだろう?ついこの間まで、新人は新人なりに「いかにもDDT」的なポジションを割り当てられていた。飯伏だってカンペなしではしゃべれなかったり、高梨やマイケルは言うに及ばず、柿本は出生ネタ、諸橋にも異常な兄弟愛…つまり、かつてはそうした「いかにもDDT」なキャラ付けをされることが、いわばイニシエーションとして存在していた、と、考えたくなる気持ちも、わかっていただけないだろうか。


それが、だ。
今や、安部以下の若手たちは、そのままストレートに

「立派な一人前のレスラーになりたい!」

という健全な意欲だけを武器に、ある程度戦えている。これって、実はすごいことなんじゃない?


そして、その結果、DDTの前座試合には今までにない「縦軸の統一感」が生まれている、ように感じる。
これまでのDDTの前座といえば、毎回の興行で少しずつ(そして時おり飛躍的に)展開するそれぞれのサイドストーリーが平行に存在し、一試合ごとのオムニバス形式とも言うべき興行デザインだった。
が、少なくとも今回のFACE大会“God Bless DDT 2009”は、それだけではなかった。第二、第三、そしてメインの第七と各試合にラインナップされた若手選手たちが、割り当てられたシチュエーションの中で、ただまっすぐひたすらにプロレスに取り組む姿勢を見せることで、興行全体にひとつの流れを生み出していた。メイン終了後に発生した「イシイ」コールは、そのグルーヴが頂点に達したことの証左だったのでは…?
そしてこの現象は、「横軸」による構成が基本だったDDTという興行に、「縦軸」という新しい座標が誕生(あるいは明確化)したという「事件」だったのだと思えてならない。


だけれども、だ。
それを手放しに喜べるのか、それでいいのか、というと、ちょっと違う気がするのも事実だ。

突然話は変わるが、2006年に、筒井康隆のSF作品が2作続けてアニメ映画として制作された。『時をかける少女』と『パプリカ』だ。
ちゃんとした根拠があるわけではないのだが、世間的には『時かけ』のほうが受けていた印象がある。「真琴は俺の嫁」とさえ言われていた記憶があるが(笑)、『パプリカ』については、そこまでハマったという声を聞いた覚えはなかったりする。


『パプリカ』の人気がどうというよりは、『時かけ』がなぜそんなに受けたのか、ということは、以前考えたことがあって、その結論は
「狂気や媚びのない、ストレートなヒロイン像が逆に新鮮だったからだ」
である(笑)。ハルヒだの、らき☆すただの、ひぐらしだの、という時代に、スキもキライもはっきりしない男友達との草野球をしている時間がなんとなく好き、という、「消費者に好かれるため」の操作を受けていないキャラクターの「素朴さ」「素直さ」が、意外にも「普通萌え」ともいうべきニーズを発掘したからだ、と。

↑こういうことを書くといわゆるアニヲタからフルボッコにされかねないからこのへんにしよう(苦笑)。


何が言いたいかというと、自分は『時かけ』より『パプリカ』のほうが圧倒的に好きなのだ。なぜなら、『パプリカ』のほうが、映像、音楽、ストーリーなどすべてにおいて、より「わかりやすく面白い」からだ。そのわかりやすさたるや、端的に言って『パプリカ』は「観るドラッグ」ですらあると思えるほど。
あ、余談ですが、まだ『パプリカ』観てない人がいたら、ぜひお勧めしますよ。うちのブログを読んでる少数の方、「DDT 観戦記」「神実況 ロフトプラスワン」「ゲデバニシビリ おっぱい」「力士のちんこ画像」などエキセントリックな検索ワードでご来訪くださるやや多数の方であれば、きっと楽しめることを請け合います。


閑話休題
で、ここから無理やり話を関連づけていく。


“God Bless DDT 2009”にひそむ正統派のビルドゥングス・ロマンに手もなく感動した自分が、一方ではやはり過剰なまでのエンターテイメントこそを好むという事実。
ここに、いわゆる「両輪」の存在を感じるのだ。長々と書いてきて単純な話だが、要するに「今までみたいなバカ騒ぎも好きなんですよ、大好きっ」ということ。


陳腐な着地点でこっ恥ずかしいんだけど、ただ、観戦記本文で指摘したような違和感は残念ながら厳然としてあって、それでもなおかつ「今日は来てよかった!」という満足感のほうが自分の中では強かった。
それは何故だ?というのがどうしても気になって、いろいろ考えていたらこうなった次第です。
あるいはその「違和感」の部分を拡大して弾劾するような文章を書くほうが、このブログ時代の雰囲気には合っているのかもしれないが(苦笑)、そんなものは何も生まないというのがそろそろわかってきたような気もしますのでね。


高倉仮面師id:Mask_Takakuraの言葉を借りると、

「人は文句を言うために試合を見ているのではない。幸せな時間を過ごすために見ているのだ」

ということです。


観戦記本文では語りきれなかった思いを述べていったら、こんな長文になってしまいました。結論は、

「俺はDDTが大好きだ!」

ということです。つまりはそういうことなんです。
最近急に寒くなってきたけど、これが暖かくなってまた暑い季節になったら、その時は両国国技館大会です。
ボヤボヤしてたら置いていかれてしまう!
食らいついていくぞー!


おわり
おわり