漠然とした話。

ふと気になって、清河八郎のことを調べていた。
いや、ほんとに大したことじゃなく、「清河って出羽(秋田)出身だったはずだけど…実際はどうなんだっけ?」というだけのことで、携帯からググって一発だった。
幕末維新期の、しかも初期にあたる段階で東北から清河のような人間が出たってことは、最近改めて「面白いよなぁ」と思っている。交通機関も情報伝達機関も未発達なこの時代に、なぜ清河が『覚醒』したのかっていうことは、今後もうちょい気合い入れて調べてみよう。つっても、たぶん「江戸に剣術修行に出てきて諸藩の士と交際するうちに…」ってな具合だとは思うんだが。


今回の本筋はここではない。
今は「翔ぶが如く」を(自分としては)ゆっくり読んでいるんだが、こないだmixi司馬遼太郎コミュに参加するにあたって「初めて司馬作品を読んでから何年になるだろう」と指折り数えてみた。なんと早10年が経っている。いや、時の流れってのは早いもんだ。
司馬さんについては単に文筆家に対する慣例的尊称としてを超えて、実感から「先生」と呼びうるだけの読書はしてきたつもりだが、やはり立場としては「司馬門の生」というよりは「司馬ファン」というほうが我ながらしっくりくる。

んで、このボクを含めた「司馬ファン」の存在っていうのは、「歴史ファン」から一部敬遠というか、悪く言えば蔑視されているというのも何となくは感じてきた。
と言うのは、おそらく司馬作品がふんだんに史料からの引用を用い、人文地理的なアプローチをよくするという点、さらには司馬ファンにはお馴染みの坂本竜馬土方歳三などの登場人物についての造形が、ファンにとって絶対視されるほどにキャラクター化されているという点などから、往々にして司馬ファンは司馬作品を歴史的事実として混同し、またそれを省みないということが大きいはずである。縮図化すれば、格闘技における「パンクラス修斗を知らないK-1/PRIDEファン」の立場と似ているように思える。


まぁつまりは清河のことを調べていて「反・司馬」なサイトを見つけたってことなんだけど、この手のサイトは基本的に「史実はこうであるのに司馬作品では無視/誤記/曲解されている」という構成なので、ファン感情を逆撫でされることさえ我慢すればけっこう勉強になる。ちなみに今回得た新知識は、

・「豊玉発句集」は新撰組加盟前の作。よって「燃えよ剣」などに引用されている句はすべて江戸修行時代のもの。
・土方の脇差しは「堀川国広の一尺九寸」とされているが、堀川国広に二尺以下の作刀はない。
・近藤の「虎徹ばなし」は単に諸説あるというだけで、虎徹を三本持っていたわけではない。
・「新撰組血風録」の平隊士はほぼ創作。

といったあたり。勉強になりました。


というか、この人のサイトを他にもいろいろ見てたら、「雑文祭り」なるネットイベントをしてたりする人らしい。リンク自由とのことでURLをぺたり。
http://www.asahi-net.or.jp/~bh3h-smjy/