マッスルはすごいんだってば!

例によって興行そのものはスポナビさんで→http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/column/200701/at00011940.html


…って、考えてみれば、マッスルの詳報がスポナビに載るのってすごくないか?ていうかマッスルってすごくないか?
というのが、今回の感想のテーマです。珍しくテーマがあるんです。

マッスルは、もはや周知になりつつありますが、プロデューサーのマッスル坂井にしてみれば「プロレスの向こう側」「10年先のプロレスジャンル」で、ファンや批判者にとっては(よくも悪くも)「プロレスと演劇の融合」みたいな感じでとらえられていると思います。いや、もはや「プロレスをネタの下敷きにしたエンタメ芝居」なのかも。
いきなりだけど「マッスルのすごいところ」!
事前に、内容についての一切の情報がない!


プロレスでいう対戦カード、出場選手。演劇でいうキャスト、ストーリー。これらが一切不明。「ネタバレ」したら意味がないという意味ではお笑いライブも事前にネタを明かすことはないだろうけど、それでも興行のウリ(というかとっかかり)として出演者くらいは公開するのが当たり前、常識だと思います。
が、マッスルにはそれが一切ない。
かろうじてマッスル坂井アントーニオ本多、鶴見亜門はまず出るんだろうけど、今回で言えば東京愚連隊や菊タロー、ましてや大日本プロレス勢が出るなんて、予想や期待をするほうがおかしい。ましてや彼らが漫才や大喜利をするなんて、事前に僕らは全く知らなかったのだ。
普通に考えて、こんなイベントに客が来るとは思えない。そうじゃないですか?


しかし、それでも後楽園が埋まる。発表では1850人超満員札止め(公式な後楽園ホールの定員は2005名らしいが、「マッスル」はセットの都合で客席を一部封鎖するためこの数字でも満員たりうる)になった。
これってすごくない?てか、なぜか今回いきなりそこに気が付いたんだけど。で、気付いた瞬間からそのあまりの「すごさ」にすくんでしまって、考えが進まなくなっちゃって、ただただひたすら「すげぇなぁ」って。


というわけで、ネットとかで盛り上がってたらしい「SPA!誌上でマッスル坂井紙プロ・チョロ記者が結託してプロレス専門紙を愚弄」とかいうせせこましい話など、まったくピンと来ません。もはや、針小棒大な原則論なんか通用しない次元で、マッスルという企画は動いている。
このムーブメントは、まだまだ一過性で、プロレス不信渦巻く業界内外のひずみが産み出した、プロレス史上の鬼子であるかもしれない。あるいはマッスル坂井が言うように「10年後のプロレス」の一翼を担うジャンルの萌芽かもしれない。または批判者のいうように「このへんでダメになる」可能性だってもちろん否定できない。
このマッスルというムーブメントが、時間という審判をまだまだクリアしていかなければならないのは、どれだけマッスルを心から愛しているファンであっても(あるいはそうであればこそ)覚悟しなければならないことだ。
だが、少なくとも現時点で、マッスルは他の興行イベントがやろうとしない/やりたくてもできない興行形態を、すでに確立しつつある。プロデューサーとしてのマッスル坂井が、この手応えをもって「末は武道館」と旗を高く掲げる気分は、そう考えればまるでホラ話でもなく、希望的観測とばかりも言えないのではないだろうか。


ただし、比喩的な言い方になるが、軽いものは小さな力で速く動く。が、運動体が大きく重くなればなるほど、動かすための力はより巨大になるものだ。
後楽園大会に満足し武道館を期待する我々ファンのひとりひとりは、それぞれは微力ながら、マッスルを武道館へと押し上げるベクトルのひとつとなる宿命を背負わされているのではないだろうか。
なぜならばマッスルは、すでにそうして、草創期から愛し続けてきたファンによって、下北沢タウンホールから後楽園ホールへと押し上げられてきたからである。


なんかやたら力んだ文章になってしまったので、今回のマッスル・ハウス3の各論は、また日を改めて。